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アン・ブーリンの処刑について。黒幕はヘンリー8世だった?

   

 

1536年5月19日、ヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリンが処刑された。
その容疑は反逆、姦通、近親相姦及び魔術であった。しかし現在では、その罪は恐らく冤罪であったという見方が強い。アンの処刑は夫ヘンリー8世によって仕組まれたものであるとまで主張する研究者もいる。
ヘンリー8世は世継ぎである男児を望んでいたものの、アンは男児を産むことが出来なかった。
そのため、アンはヘンリー8世の寵愛を受けることが出来なくなったとされる。
彼女は処刑される前に、夫ヘンリー8世を「紳士的で至高の君主」だと讃えていた。しかし、残念ながらそれは事実ではなかったようだ。

Credit:wikipedia(画像)ヘンリー8世

Credit:wikipedia(画像)アン・ブーリン

アン・ブーリンは1536年5月2日、ロンドン塔に投獄された。
裁判ではアン・ブーリンが強硬に無罪を主張したが、その甲斐も虚しく有罪となり、火炙りあるいは斬首による死刑判決が下された。

近頃発見されたとある16世紀の礼状によれば、ヘンリー8世がアンの処刑方法や場所について細かく指示していたことがわかった。
それに依ればヘンリー8世は、アンの処刑を残忍な火炙りではなく斬首によって行うこと、またその際は斧ではなく剣を使用すること、処刑は城内のタワー・グリーンで行うこと、などと命令していたという。
これはヘンリー8世がアンに対して、ある一定の憐みの感情を持ち合わせていたことを示唆している。
当時イングランドでは斬首に剣を使うことはめったにない事であったため、フランスのリールから剣士を呼び寄せて執行させたという。

Credit:wikipedia(画像)ロンドン塔に投獄されたアン・ブーリン

Credit:wikipedia(画像)アン・ブーリンの処刑

いずれにせよ、世界史上有名な出来事の一つであるアン・ブーリンの処刑の真相はまだまだ不明な点が多い。
夫ヘンリー8世自身がアンの処刑を仕組んだという説や、ヘンリー8世の側近トマス・クロムウェルが黒幕であるという説等、異説は多数存在する。

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