スウェーデンのブラックメタルバンドDissection(ディセクション)の来歴

   

 

今回はスウェーデンのブラックメタルバンドDissectionを紹介する。
Dissectionはブラックメタルシーンの黎明期から活動していたバンドの一つで、ツインギターによるメロディアスなリフを導入したスタイルは後のブラックメタル、メロディックデスメタルに多大な影響を与え、メロディックブラックメタルというジャンルの確立に貢献した。
At the GatesのボーカルTomas LindbergはDissectionをイエテボリスタイルの一角であると評している。

来歴

Dissection結成に至るまで

DissectionのリーダーJon Nödtveidtのミュージシャンとしてのキャリアは、弱冠12歳で弟Emil Nödtveidtと結成したHR/HMバンドThunderに遡る。


Thunderは正統派のハードロックで、まだ声変わりすらしていないNödtveidtの歌唱を聴くことができる。
Dissectionの様な邪悪さは全くないが、12歳でこれだけのクオリティの曲を作ってしまうのだから、すでにNödtveidtの非凡な才能が垣間見れる。
弟のEmilは後にDeathstarsというインダストリアルメタルバンドにギターとして所属している。

1988年にスウェーデンのストレムスタードという街で結成されたSiren’s Yellと言うスラッシュメタルバンドには、Nödtveidtを含め、Ole ÖhmanやPeter Palmdahl等、後のDissectionのメンバーが名を連ねている。Siren’s Yellは一枚のデモを残して、1989年に解散した。
その後NödtveidtはÖhmanと共にRabbit’s Carrotと言うスラッシュメタルバンドに加入。しかし、よりダークな音楽性を求めていたNödtveidtやÖhmanは、Rabbit’s Carrotとの音楽性の不一致を理由にすぐに脱退。
Rabbit’s Carrot脱退後、Nödtveidtは自身がギター/ボーカルを担当し、ベースにPalmdahl、ドラムにÖhmanを従えDissectionを結成。

結成から1stアルバムリリースまで

Dissection結成後、1990年12月には1stデモ「The Grief Prophecy」をリリースした。


このデモはどちらかというとデスメタルに近く、後のブラックメタルバンドとしてのDissectionとは音楽性がかなり異なる。
作品のアートワークを担当したのはスウェーデンのデザイナーKristian Wahlinで、彼は後に「Reinkaos」を除くほぼすべてのDissectionの作品のアートワークを担当することになる。
彼は他にもEmperorの1stアルバム「In the Nightside Eclipse」を含め、数多くのメタルバンドのアートワークを手掛けている。
1991年には2人目のギタリストとしてJohn Zwetslootが加入。これによってDissectionの代名詞ともいえるツインギターによる体制が確立される。
また、Zwetslootはクラシカルな要素をバンドにもたらした人物として評価されている。
1stアルバム「The Somberlain」に収録されているクラシックギターのソロ曲「Crimson Towers」「Into Infinite Obscurity」「Feathers Fell」を作曲したのも彼だ。

同年4月には、ブラックメタルバンドMayhemのDeadが拳銃自殺するという事件が起きる。数日後にDissectionは追悼の意を込めてMayhemの曲「Freezing Moon」をライブで披露した。
また12月には、ノルウェーのアスキムで開かれたブラックメタルのライブイベントでDissectionのメンバーNödtveidtとÖhmanがMayhemのギタリストEuronymousと共に「Freezing Moon」を披露するなど、当時からノルウェーのブラックメタルシーンと交流があったようだ。
1993年の夏頃、1stアルバム「The Somberlain」のレコーディングのため、メンバー全員がイエテボリに移り住む。そこではAt the Gatesとリハーサルスタジオを共有していたという。

Dissectionの躍進と事件

「The Somberlain」は1993年の12月にリリースされた。このアルバムは同年に殺害されたEuronymousに捧げられた。
この頃から徐々にギタリストのZwetslootがライブのリハーサルをすっぽかすようになり、時にはそのためにライブをキャンセルせざるを得ない事もあったという。
そのためメンバーは次第にZwetslootを解雇することを検討し始める。1994年にZwetslootはバンドを解雇され、新たなギタリストとしてJohan Normanが加入。
同年11月にはDissectionはNuclear Blastと契約し、翌年の1995年3月には2ndアルバムの制作に取り掛かる。
同年9月にドラマーのÖhmanが脱退し、代わりのドラマーとしてTobias Kellgrenが加入。同年11月に2ndアルバム「Storm of the Light’s Bane」がリリースされた。
その後バンドは2週間をかけてヨーロッパツアーを敢行。またAt the Gates、Morbid Angelらと共に大規模なアメリカツアーも行った。
1997年にはCradle of Filth、In Flames、Dimmu Borgirらとツアーを行う。
3月31日にドイツで行われたDimmu BorgirとのライブはNuclear Blastから「Live & Plugged Vol. II」というタイトルでVHSとしてリリースされた。
また同年8月に行われたWacken Open Airでのライブは、後に「Live Legacy」というタイトルでライブアルバムとしてリリースされた。
バンドとしての活動はまさに順風満帆かに思われたが、この頃にはDissectionはほぼ内部崩壊の状態にあった。
原因はバンドメンバーが、悪魔崇拝団体Misanthropic Luciferian Order(MLO)に所属していたNödtveidtの過激な思想についていけなくなったからである。
メンバーが次々に脱退し、最終的にバンドに残ったのはNödtveidt一人となってしまう。
そして1997年12月には、当時のスウェーデン社会を揺るがす事件が起きる。
Nödtveidtがアルジェリア系移民の同性愛者の男性の殺害事件に関与したとして、殺人幇助の罪で逮捕されてしまったのだ。
これによってNödtveidtは数年の間刑務所に服役することになり、Dissectionは活動休止を余儀なくされた。

3rdアルバムリリースと終焉

2004年に釈放されると、Nödtveidtはバンドメンバーを一新しDissectionの活動を再開。同年にシングル「Maha Kali」を、2006年には3rdアルバム「Reinkaos」をリリースする。
「Reinkaos」はこれまでのDissectionとは異なり、ミドルテンポ主体の音楽性に変化した。また歌詞はMLOの教義に基づいたものとなっている。
その後バンドは小規模なツアーを行い、ライブDVD「Rebirth of Dissection」をリリースするなど精力的な活動をみせていたが、「Dissectionは最終章を迎えた」として解散を発表。
2006年8月13日にはリーダーのNödtveidtが自宅マンションの一室で拳銃により自ら命を絶っているところを発見される。31歳であった。
遺体の周りには火のともされた蝋燭の輪がつくられており、また、そばにはNödtveidtが所属していた悪魔崇拝団体MLOの書物が開かれていたという。

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